十八のときに読み始めてから
今でもたまーに「週間文春」を買う。
最初はパラパラと読み流してたんだけど
歳取るに連れて、こんな読み方してても、
世の中の事ちっとも
勉強にならないと気付いた。
興味の有る所だけ読んでてもダメ、
興味の無い所を読んで初めて知識が広がる。
それから隅から隅まで読むことにした。
だから、1週間で読み終わらない。
1ヶ月同じ号を読んでいたりする。
旦那「もはや、それは週刊誌ではない。」
と言われながら、お風呂でごわんごわんになった文春を読む。
それがまた楽しい。
で、7月の号の
高島俊男 という作家の連載エッセイに興味深い事が書いて有った。
大昔に「頬(ほお)」は「ポッポッ」と言った。
それが平安時代になるときちんと発音すると面倒くさいので
「ポッポー」になった。
鎌倉、室町と面倒だという理由でドンドン変化していく
「ポッポー」が「ホッホー」、「ホッホー」が「ホオホー」
po → fo → ho と変化をとげ
ついに面倒くささも極まって「ほお」になる。
この論で行くと「平家物語」は「フェイケ物語」と発音していたらしい。
「ははは、昔パパだった。」
つまり「母」は昔々「パッパッ」と発音していて
面倒くささの極みに「はは」になったのだそうだ。
面白い!
最近TVアナウンサーまでもが
「すごい きれい!」
「すごい 美味しい!」
などと当たり前のように使うのを聞くにつけ
自分でも使っているのを棚にあげ、
「ちっ!」と思っていたんだけど
「すごい」と「すごく」じゃ音節の数が違って
「すごく」と発音する方が面倒くさい。
なるほど、やっぱり面倒くさくない方に流れるのも
これまたむべなるかな、と納得した。