小池真理子の「追いつめられて」読了。
やっぱり今までと同じ感想、「2時間ドラマ見てるみたい。」
きっと相当、原作になってるんだろう。
何も考えずに読める。
次は「さらにいい家を求めて」を読むよ。
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きょう期せずしてTVで同じ話題を聞いた。
ひとつ目は、渡辺えり子が12歳年下の御主人と2人で出演していて、その時の話題。
結婚してから、トイレに入るといつも便座が上がっていて、
それをいちいち下ろし、用を足すのが嫌で
「結婚を後悔した。」と言っていた。
彼女は下げるのを忘れて、はまってしまった事もあるらしい。
ふたつ目は、「ごきげんよう」に出ていた原史奈の「もしかしたら私だけ?」の話題。
「便座を下ろさない人とはお付き合いできないです。」と言っていた。
彼女もはまった事があるそうで、そのトラウマなのだそうだ。
実は私は、子どもの頃から母に「便座を上げて置くように」と躾られて育った。
母の論理としては、
「万が一、便座を下ろしたままにしておいて、男性があやまってそのまま用を足したらたまらない。」
「便座を下ろした状態で流したら、万が一飛まつが飛んで便座の裏や表を汚しかねない。
常に上げるクセをつけておけばそれを回避できる。」
と言う事なのだ。
私はその論理は正しいと思うので、結婚しての生活においても
便座は上げた状態で置くのを常としてる。
旦那はかつて「便座がいつも上がっているので大変都合がいい。」と発言していた。
別に旦那の都合に配慮したわけではないのだけれど、お互いの意見が一致したということだ。
だから、渡辺えり子と原史奈の苦悩は、私にはほとんど理解できない。
私も一度だけ、はまった事あるのだけれど。
この前やはりTVで「洋式便器の蓋は何のために?」という疑問を追及していた。
欧米では、あの便器の蓋に腰掛けるというのが、普通に行われているらしい。
バスタブと便器が一対になっていて、
お風呂に入った時に蓋をした便器に腰掛け体を洗うのだそうだ。
だとすれば、トイレが独立している日本の家屋の場合はまったく「要らない物」だったのだ。
昔は便器をそのまま輸入し、模倣したりしたのでいまだにその名残なのだそうだ。